2007年  密集市街地の再生に当たって

都市空間の制御と都市的ジレンマと!


高度成長に着目し相対的な視線ばかりに頼って、追いつけ追い越せと眼の前に垣間見える繁栄を目ざして働き続けた我が国の創り上げたものの中には、いま改めて見直してみると様々な課題が私たち市民の眼の前に迫って来るような気がします。そこには過度に様々な機能が集中しすぎた巨大な都市のエッジを取り巻くように発生し、今なお発生しつつある密集市街地のしめす多くの課題が観察されます。

密集市街地の再生は、様々な側面からの課題を浮き彫りにします。新しい年を迎えるにあたって、心を新たにして密集市街地のもっている課題について複合的な視点に心を移しつつ再整理し新たなる創造的な発見を試みたいと思います。



1.都市空間の本質的制御の背景

 私たち市民は自分たちが生まれ生活している都市空間を、そして私たちや私たちの先祖が長い時間をかけて創り出してきた都市社会という地域コミュニティを、過去に君臨した王侯も貴族も近代的な民主社会も、未だ誰もが自ら制御することに成功しているとは言えないことに気付きます。
歴史的にも特定できないほど古くから、人間は自らが生きる環境を制御するために、多くの規定や法律を作って何とか人間らしい都市という居住や機能空間を改善し自らの意志で制御しようと努力してきました。しかし未だ充分な成果を上げたとは言い難い状態にあると見なければならないように思います。
太陽系宇宙は絶えず進化という必要性に駆られて常に価値観を替えつつ必要な循環を繰り返すような時代を規定する波動が放射されています。その放射される波動の中に住む市民は、これに適応せんとしたり、反応を否定したりする市民によって千変万化する都市空間も、これに重なって展開した技術革新の速さによって、ひ弱でありながら、より便利さを増す都市という社会機能を、自ら制御するように関連つけられた総括的な科学技術を、未だ我々は自らのものとしていないことが主因であると言わねばなりません。

ここに決定的に不足することは、我々が手にし恰も万能であるがごとく錯覚している科学技術が、人間の思考や主観的な意志とは一体どの様な関係を持っているものであり、人の決意によって発生した現象との因果関係については、全くの無知に近い状態であることであります。

従って、現状の科学技術がもつ対応可能な領域のままでは、市民が希望し、意志することが希望したように、どの様な経路と計画諸元を収束して計画され、どの様な推理力の水準にある組織によってどの様な過程を経て意志決定され、その意志決定の背景にある思想的指針が市民の意志するものと合致しているかどうかについて判定した上で、現実的に事業化することは極めて困難な状態にあると言わねばなりません。
その主な原因が、現代人が信仰のように任せきっている科学技術の中に、目に見えない五官に記録されない科学領域が総合判断から排除されたまま、人間意識に影響を受けそうな部分を除いて判断せざるを得ない社会的背景のもとに、事業化が展開していることにあります。

市民による集団的事業である必然性のもとにある都市空間の整備には、市民という人間の持つ意志が活躍して、形態と機能とを与えようとする計画諸元を創り出し、これを形態の持つ力にまで統合して表象される計画力と具象化される技術力や資力が必要であるのは当然のことであります。このような重要性の使命を決するような背景を持つ事業に、意志とか願いとか主観的な部分が科学的に理解されない状況下において、集団的な理解を得られるような説得力は、何れ創造されるだろう主観的な科学技術を除いたもの、即ち例えば再開発気違い等と呼ばれるような熱意とか配慮性によるものしかないことを多くの事例が示しています。

しかしまず、これより先に必要なことは、都市の主人公である人間の尊厳ある存在という視点から目を背けることなく、正面からその意義に焦点が当てられ、意義ある存在がその意義を活かす環境が、如何なる機能と形態とをもって整備されるかを問わねばなりません。
これらに明確な視点を与え、人間の意志がブラックボックスのない明確な行程をもつ計画力によって、因果関係が解るように、意志と表象の因果関係を解明しなければなりません。
この解明は新しい時代における市民の活きる空間のためにも、地球環境のためにも決定的な影響力を持つようになり、我々の知る科学技術に主観的な意志が影響する領域を研究対象に拡大し、ものとこころとの因果関係を科学的詳細に解明することから始めなければならないと思われます。



2.地域コミュニティにおける社会的ジレンマ

人間も動物も単独で活動するよりも、集団となって目標を達成する社会的協働をしたほうが効果的であることは良く「解って」います。しかし社会的活動は自我の発現を抑圧しなければなりません。「解っちゃいるけど止められない」個人の気持ちのことを一般に社会的ジレンマと呼んでいるようであります。

しかし地域コミュニティが自己組織化によって構築されるような刻が来て、地域コミュニティの構成員即ち市民が自らの手で、自律的にアメとムチを使い分け、ここにいう社会的ジレンマを超えたとき、始めてその地域社会構成員たちは地域コミュニティを制御できたことになります。しかしアメとムチの使い方が如何に高度になっても、アメとムチだけでは集団行動で採食活動をする動物と同じであり、地域コミュニティにおける社会的ジレンマに対する人間らしい超え方が、地域風土の特徴を生かすような事業の採択とか、児童の安全とか、自律性には人間の尊厳に対する非寛容を貫くとか、その成功確率を問い直し、動物的から人間的な社会的ジレンマの超え方が、今改めて問われているように思われます。

都市計画要件の中に市民による自律的要素が徐々に増加しつつありますが、このときこそ新しい計画手段が集団的に決定できるよう様々な学問体系の統合手段が整備されなくてはなりません。そこでは先ず都市という集団的でなければならない社会の、避けて通れない最大の課題と言ってもよい社会的ジレンマの問題を現実的な課題として、市民自らの基礎素養として学ばなければならないように思います。残念ながら其所には何にも手つかずの状態と言って良い風景しか見えてきません。

都市空間という人間が住み創造する凡てを含む環境を構成する要素が、その変更によって目的とする状況を、どの様な手段でどの様な確率で成立させることに成功するのか、各要素別諸元の成功確率を算出できる科学的背景を、数学者や理学者、心理学者、社会学者たちと協働して我々は徐々にでも良いから自ら創り出してゆく覚悟が必要なように思います。この絶え間ない努力の継続ができるような状況がきちっと整備されていて、臨床的方法が行われるようにしたいものであります。いまは残念ながら抜本的対策を避け、臨床療法に近い対策になっているように思われます。

これらの社会的ジレンマの問題は、宇宙的な地球の環境問題から始まり、化石燃料による気温の上昇や水位の問題、大気の汚染、農耕地域の拡大による砂漠化の問題、様々な水の再配分のもつ課題、ゴミ処理など様々な問題にまで広がっており、国際的なジレンマと言って良い状態になっています。これらの問題にも都市という公共財にも全く同じような社会的ジレンマの問題は存在し、その解法はおそらくそのまま対象領域を拡大して太陽系宇宙に存在する惑星「地球」の果たすべき使命にも活用出来ることになると思われます。
以上
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