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まちつくりの創り出すもの |
中心市街地の活性化から始まって密集市街地の再生へ進み、我が国の都市社会が求めつつあるもの、まちつくりというものが創り出しているものについての多くの市民の話題性は、私たちにも改めて尽きせぬ創造性を与えてくれます。 まちは活きていますが、中心市街地がそして密集市街地自らがその再生のために求め続けているもの、その世界が物語るほんものを知りたいと思ってみても、なかなか聴きとる耳を持てていない私たちでは、ここでも悩みは尽きぬものという感じになっています。 少し遅れ気味の社会基盤投資が何れは行われるであろうと思うとき、所得格差の少ない我が国社会やそこに住む市民が創り出そうとする都市という社会像が、一体どの様なものとして提供されるようになるのかの議論が未だに不充分であり、手法の議論はあっても、まちが創り出そうとするものに関する議論の開始が、いかにも遅きに失するように思うのであります。 あらゆる政策の集中によって成立した所得格差の縮小が、社会基盤整備の精華として文明となって華開くものとなり、所得格差の少ない特性を持つまちつくりの精華が、我が国のものつくりの精華とともに、人類社会の新たなる転機となるように、更なる貢献を果たす可能性を思うのであります。それには、対数曲線の成長を続けて漸くステーショナリ・フェーズを経過しつつある我が国経済が、踏み切るべき社会基盤整備という政策に、新ミレニアムに相応しい入魂の思想が与えられなければならないと思います。 人類進化の行程のうちでも最も重要な局面を構成し、従後の進化プロセスの成否を判定するとも言われる「自ら行う自己の精神活動制御システム」の育成が、民主主義的な社会運営に与える影響は決定的であり、そのときは民主的社会がかけ声に留まることなく本物として機能するのであります。まちつくりはこれに対処すべき進化上の位置つけにある人間の止むに止まれぬ環境つくりにあると思われますがしかし、残念なことですが、十分な論議も提案も全く進んでいないばかりか、議論の対象にすることさえ遠慮気味の扱いをするのが現実であります。 誰しものことですが、新しく変貌した時代の放射する基本波動に対するには、旧来の慣れ親しんだ眼によっては、的確に反応することは困難であろうと思います。そこでは慣れ親しんだ獲得形質からの果敢な脱出や放棄が必要であります。また獲得形質の放棄ばかりではなく、競合に勝ち残ろうとする世相には全く反するような自我の放棄や自我からの無執着が必要になるだろうと思います。そして更にその集団的成功がその地域コミュニティ、つまりまちつくりに公的な必然性として波及してゆく必要がありましょう。これは余程の困難にも敢然と立ち向かう社会に偉大な人間の意志が加わって始めて成立することですが、大きな変革を成功させた企業や一部の藩幕政府などに、そのかすかな片鱗が見つけられる程度であります。 私たちはここで、市街地再開発事業など集団事業における全員同意方式といわれる110条方式によって同意される行程には、ここにいう獲得形質の放棄や執着する自我からの放棄を引き出す精神体の自己制御の行程が大なり小なり含まれていることに注目しなければなりません。 この精神的な制御行程を全員同意という困難な経過のなかから経験し、再開発事業という個人的生活にとっては大きな代償を必要とする事業にも拘わらず集団的同意に成功している事例があるのも事実であります。そしてこの権利変換上の個人的合意も組織全般に波及し、創造的で集団的な認識の革新的な変革に展開し、これによって活性化など再開発機能のための集団事業が成立しているのも一方の事実であります。 このような集団による社会開発的な事業の成立があり、また一方では多くの修行者の中からではあっても個人個人の人間には高度な無執着の達成者が存在し、集団的な展開を見せる可能性のある限り、人間は何れかの時機に自らの意志によって自らを制御し公的な活動に参画することが当然であると考え、次なる進化の道に行く状況裡にある社会が必ずや実現すると思われます。あとは体系的な位置つけをもって一歩足を踏み出すか、座して待つかの選択の問題でありましょう。そして行政意志を受けたまちつくりが専門家から提案された計画を、市民たちが選択するだけで施行するような事業制度から前進し、市民が広範な与件を理解し対策を立案する行程が加わることが必要となり、そのために必要な時間が要求されるようになるでしょう。 今、求められるべきは、物的な空間つくりの技法ではなく、居住空間つくりという題材をかり、自らの意志によって識別する責任ある基本領域に関する研究と検討によって、自己制御すべき領域や対処方法を科学的詳細に学び、行政や、専門家の支援はあっても自らの意志と集団的自己制御によって集団的合意に進むための、時間を十二分に市民に与えるべき事業制度であり、サポートする産業体系もこれに見合う充分な改革が準備されるべきと思うのであります。 集団心理学の教えるところによれば、モラル高き集団的合意のためには、自由に使用可能な時間が十二分に必要なのであります。このような住民の意思と決定とを更に尊重するまちつくり制度を実現できるときは、市民の満足度が高く、充分な時間を取りつつも、行政課題に直截に切り込むことを可能とするでしょう。しかも判断能力を充分に拡大した市民意志の発露が、事案に対して偏ることのない科学的具体性を維持するときは、多くの他領域との接点を融合させ、創造性の高い地方特性を充分に発揮することは十二分に可能でありましょう。回り道のように見えるこの制度も時間の経過とともに大きな成果を結ぶように思うのであります。 そして地方特性を充分に包含することになるコンセプトワークは、市民の望む都市環境に地域特性を発揚する居住空間を育成し、討議環境をも徐々に良質なものとするように転換してゆくことに成功するでしょう。市民は自ら創りあげた都市空間を、活用者として専門家に近い視点から判定し、自らの居住環境を自らの手によって改善を加え、永きに亘って地域コミュニティに必要な逸材を生むような、より望ましい居住空間を提供できるようになるでしょう。 このような時が一刻も早く来るように、協力できることを心より期待するものであります。 |
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