| 適者生存 あなた自身のまちつくり! 「公と私」の世界 おおやけの新しい役割 |
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| 3.現代における公共性 公共という言葉は英語の public の訳語として用いられています。この意味では公的領域は、私的領域に対して我々市民生活の一半を構成しています。H. アレントによると「公的なものとは万人によって見られ、聞かれ、かつ評価される存在することを意味するもの」とされています。すなわち公的なものとは、その意味や価値が万人の自発的参加を通じて判断される存在であるとともに、公的なものとは人々の共通の関心の対象でもあるとされています。従って公共とは、公開性あるいは参加の可能性と共通性とによって構築された世界にほかならず、公共の世界には人々の参加行動を可能にする共有空間を含んでいる必要があると言われています。 しかし、近代国家の成立によって共有空間の形成を不可能にしただけではなくアレントのいう意味からでは「私的領域に属していた経済を共通の関心事とすることによって、公共の世界を消滅させ、近代国家における公共は概念としては存在しているが、その実体的基盤は失われ、ただ擬制としてのみ存在しているにすぎない」となっています。 それにもかかわらず、欧米における公共は「公開性や共通性」を重視することによって、個別的関心との連続性を保持していますが、日本における公共は逆に個人の集団への埋没性を特徴とされてしまっています。我が国では、公共(おおやけ)とは一般の人が小家(こやけ)であるのに対して、皇室を大家(おおやけ)と呼んだことに由来するとされ(中村元《東洋人の思惟方法》)、古くからの農村社会の伝統的な公共概念は、個人の帰属する集団全体が個人に優位し、個人は全体に無条件に奉仕することを当然の帰結として考えられていたようです。 しかしながら、ここに述べられる欧米の特徴も我が国の古い特徴も、その違いは単に公をみる社会構造の違いによるもので、前者は都市社会であり第3次産業を主として成立し、後者は農耕、放牧社会など1次産業に依存する社会構造によるもので、今後は都市人口の増大につれて公共の概念は前者に近づいていくものと思われます。 その結果、都市社会における公共の役割は今までの欧米型の公共に関する概念規定では我が国の市民の感性にフィットする説明はできず、情報の公開性や課題の共通性を付加しても、文明や価値意識が異なる東洋の市民の心にフィットしない部分も生まれ始めています。 しかも包括的にみれば公共の役割を説明しにくくなり、市民の心などを対象として総括的にみれば内的領域に欠落する部分が生まれる結果、公共並びに市民の行動規範が薄れ「公私」の世界ではやや秩序を失うような結果を招来している様子がうかがわれます。この傾向は欧米の先進諸国にも現れています。一方で、国家権力に吸収されて地域住民となった時代から変化して、現在は私生活中心主義の意識と消費者的主体性によって特徴づけられる地域住民という姿に変化しています。現代日本における「私」は、かつてないほどの拡大と膨張(平凡社百科事典:田中 義久氏)を示し「欲望と感性」の解放が、かつての儒教倫理にかわって、どのような公私の関係構成の原理を生み出し得るか、これが今日の公共と私民の課題であるといわれています。 また公という字のム(古語では私人のこと稲を担ぐ人)の上にハ、すなわち傘という理解もあり、稲を担ぐ私人のための傘が公であり、私人に吹き付ける風雪を防ぎ日差しを調整する機能こそ公共の役割であるという見方もあります。現代の都市社会における「公と私」に関する基本的思想が早急に整備されることが必要と思われます。 |
<目次> 1.適者生存のまちつくり 2.地方分権にすすむ時代のまちつくり 3.現代における公共性 4.公共性の特徴的特性とその行為 5.まちつくりにおける市民の自覚と役割 |
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