| 適者生存 あなた自身のまちつくり! 「公と私」の世界 おおやけの新しい役割 |
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| 1.適者生存のまちつくり 我が国の都市には特別の事情がない限り、諸外国にみられるような放棄されてしまったゴーストタウンはないと誰もが思っています。しかし今も都市には適者生存の原則が働いているのは間違いのない事実です。栄枯盛衰の歴史は繰り返してもそこまではないだろうと思っていた厳しい現実があちこちの地方都市にみられ始めています。もし「この真の動因は何か」に迫れるとしたら、私たち市民や町民の自身の地域に対する取り組み方に思いこみがあって、それが事態を悪化させ問題を起こしているのではないかと見極める姿勢があって始めて出来ることだと思います。 地域つくりとか「まちつくり」といっても、小さな自治体なら自治体全体の将来を決めてしまうほど重要な事業になりますから、これを決めるのは市民全体の意見を集約して生き残れる街なのか否かを自ら決定できる仕組みが当然のことながら必要になります。商店街の方々が、現実的に市民全体の意見を聞きながら商店街の方位を決めるのは、普通はあまりないことですが、ともに地域共同体をつくる構成員同志としてはこれからは是非必要なことになるのではないかと思われます。 また全国的に同じような「まちつくり」が進んでいる時代は、もうこの辺でとめたいと思うのは私たちだけではないと思います。まちつくりに使われる技術革新が街から個性を奪ってしまいました。しかし地域が持っている特徴ある気候風土やそこから生まれた地域文化など現代に求めているものを適切に掴んで誇りが持てるまちつくりに発展させるためには、少なくとも優れたヒントや衆意を集め育てたというプロセスが重要であり、市民が集い寄り添い力を合わせた苦労の連続が、市民の誇りある「まちつくり」の総ての背景になるものと思われます。 ヒエラルキー(階層的)のある段階的に構築されていた地域生活圏の構成が、大型店の急速な展開によって秩序を失って力のある地域が周辺地域をその覇権のもとに入れるという事態はあちこちで生じています。(この様な事態も再び急速に収束の傾向を示し始めましたが)企業である大型店と殆ど生業のようにして活動してきた地元店が自由な競争にうち克ち、与えられた経済的与件に迅速に適応して、適者生存の原則に充分耐えるようになるためには、生成発展するまちの市民としてあるいは力ある自治体として存在し続けるには、現状は如何にも課題が多すぎます。 単なる経済現象における競合上の力関係ではなく、生活便益という機能が市民生活にどの様に関係してくるかその因果関係と循環経路について理解を深める必要があります。現代における都市サービスは道路や街路樹や、市役所などの公共機能ばかりではなく、民間が実施している生活便益機能や最近では福祉機能も民間企業に委託されるようになっています。このような一般的傾向の中で、商店街を考えると郊外の大型店の展開によって衰亡を極める中心街は多く観察されますが、交通弱者は郊外店にゆく苦痛に耐えないと生活ができなくなっています。我が国において弱者が保護されない地域に将来があるでしょうか。 単に自由競争か規制緩和かという議論ではなく、現代における基本的な人権や市民権が正しい議論の上に決着して、その上の自由な競合という分野が始まることを忘れてはなりません。人間性を正しく評価し、その目的のための自由か否かの問題です。そしてこれらのことは又、最近よく見られる親子や家族の中に失われつつある秩序に関する多くのことも含めて、現代の人々が欲望と感性を総て制限なしに解放してしまったことに対する「しっぺ返し」ではないかとも思われます。時代は弁証法的な転換の時期を迎えている可能性があると思いながら対策を立てる必要があるように思われます。 |
<目次> 1.適者生存のまちつくり 2.地方分権にすすむ時代のまちつくり 3.現代における公共性 4.公共性の特徴的特性とその行為 5.まちつくりにおける市民の自覚と役割 |
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